本宗の歴史

弘願真宗は其の興りを浄土真宗の元祖、親鸞聖人の直弟子性信坊を源と伝える。

大正時代の寺院風景

親鸞聖人の直弟子性信坊は、当時の居を関東より越後に移された御時代があり、今日の越後浄玄寺開基と伝えられる。
越後浄玄寺は今に二十四輩順拝所で、第二十世は良寛和尚を義兄とされた名刹である。

越後浄玄寺の中興の祖、大講師長生院釈智現上人を太祖父として當山御宗祖聖人は御生誕遊ばされた。
當山の宗祖聖人は第二十三世にあたり、明治期に出寺されて一宗を興行され初代に立たれた。

當山の第二世のとき泰澄大師を重んじられ、加えて蓮如上人を尊敬の極みとして
第二の吉崎建立を願はれ有縁の地を福井県の県都福井市と定め、
御相承の重さを知らしめて親鸞聖人の命名された「弘願真宗」を宗名に決定し公称された。

(昭和43年文部省認可)

この宗名は、阿弥陀如来の大願業力を増上縁として、一切善悪の凡夫が救われる佛智の不思議功徳に名づけられたものである。
かくして宗風は全国に及び、寺基を 総本山を聖玄寺(福井県福井市)別格本山を瑞玄寺(北海道江別市)と定められ仏祖の守護によって現在に至る。